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決死の覚悟☆

一昨日は仕事帰りにまったり飲んで、昨日はお酒が残ったままアトリエへ行ってきて、力を出し切った感じでした(笑)
昨晩ゆっくり休みましたので、気力はすっかり充実。ブログもぼちぼち書いていきますね。
お話したいことは色々あるのですが、まずはこの話題から。

先週、大阪の小学生が、通っている小学校の統廃合反対を訴えるべく、電車に飛び込み自殺をするという、衝撃的な出来事がありました。
彼の訴えは、決して命を散らす必要のないことではあるのですが、その子の純真な思いと相まって、引き起こした出来事が一層悲劇的で深刻なのものになってしまいました。
私はこの出来事に対して、何かを考えずにはいられません。
子供だから、大人だから、そのように思うのでしょうか。一体、この世の中で大切にすべきものとは何なのでしょうか。
単純に正誤の判断をつけることのできない問題であります。

私達社会人には仕事等を通して、経済的な損得の価値観を理解しています。
なので、支店、工場、部署、そして学校の統廃合は合理化の一環で、必要な時があるというのも理解しています。お金を垂れ流しにする事態には、いち早く対処しなければならないですからね。
しかしながら、環境や物に対する愛着というものがあれば、どのようにすればいいのでしょうか。
社会人であれば、感傷に浸るだけでは問題は解決しませんから、その暇があるなら目下の問題解決に善処することを当然優先していくでしょう。もちろん、愛着がある故に多少の精神的負担はあるかもしれませんが、それでも組織の統一した目的を達成するために行動することでしょう。
もし、合理化に反対する気持ちや行動が優先されるようなことが起こる場合、その多くは、現状の自らの利権が犯されることへの反発から生じるものであると考えます。
これらの話は、社会人として生活している方々であれば、大抵理解できることと思いますし、場合によっては経験もしているでしょうから、取り立てて話をするほどのことでもないのですが、統廃合に関して経済的利害が絡むとはおよそ考えられない小学生が、一体なぜ身を呈してまで統廃合反対を訴えるに至ったのか。
そこが問題なのであります。

私はその子や学校のことなど、もちろん報道の範囲内でしか知りません。
ただ、統廃合の賛否に、少なくとも命を投げ打ってまで行動を起こすことではなかったことは確かだとは思うのですが、しかし、その子が残した手紙に「どうか小さな命と引き換えに…」と書かれていたとのことで、我々も含む周囲の大人達の考えと、その子が学校というものに対して抱く純粋なる気持ちとの差の開きが、大きかったと言えるでしょう。
子供故に衝動的に行動してしまった、いわゆる偶発的な事故とも言えるのかもしれませんが、しかし、この子をそのような行動に駆り立てた純粋な気持ちに応えられるような、受け止めてあげられるような現代の日本の社会ではなかったのだろうなと考えると、単なる学校と子供の悲しい出来事ではなくて、私達の社会全般に対する警鐘でもあるのかな、と思えてきます。
この子は生前、おばあちゃんに「統廃合をつぶすことはできないだろうか」と真剣に語っていたそうであり、その「つぶす」という言葉の強さから、大人の勝手で子供が振り回されることにはなりたくないという強い思いもあったのかもしれません。
このことから、この子が学校の統廃合の意味するところと、社会全般にもそれは意味のあることだということが分かってもらえれば良かったですし、大人の側も、この子の真剣な気持ちとその思いの根本となっている感受性を理解できれば、統廃合の流れが変わらなくても、全く違った円満な結果になっていたのではないかと思います。
もちろん、これはどちらの側がいいのか悪いのかという批評をしたいのでは全くなくて、この世の中のそこかしこに、このようなすれ違いはあるように思いますし、理解をするということが簡単ではないからこそ、それは大切にしなければならないのだと思うのです。
みんな生きてきた環境も、経験も、立場も違うし、考えが違って当たり前なのです。
それをお互いどのように理解し、新しい発想や有意義な活動に活かすことができるか。
それこそ、今を生きる私達が、早過ぎる一生を終えた小学生に対してできる、唯一の手向けと言えるのかもしれません。

優しい社会実現に向けて、頑張りますよ!
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