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自由を謳歌する時代☆

「10年ひと昔」なんて言葉がありますが、今では「5年」くらいで立派にひと昔と感じる時代になりましたね(笑)
モノも町並みも、驚くべきスピードで現れては消えていきます。
では人はどうだろうと考えると、やはり人の気質も変わってきていると感じるところはありますよね。
それは何も、子供たちに限った話ではなくて、大人全般にも言えるのではないでしょうか。

これはあくまで私見なのですが、戦後間もない頃の我が国では、衣食住で満ち足りた生活を送れる人など少なく、ましてセーフティネットなど当然あるはずもなく、国民は皆、自助努力により切磋琢磨して、逞しく生き抜く国民性を有していたと思います。
もちろん、先人たちには気高く尊い精神を持ち合わせていたということはあるにせよ、あらゆる物が不足して、今日食べられることさえ保証がない生活の中で、生き抜くための価値観が最優先され、境遇が同じ人が圧倒的に多いが故に、その価値観が社会全般の価値観として浸透していたのではないでしょうか。それが、ごく自然の成り行きだったのではないかと考えられます。

長老格の方々のお話を伺うと、意外にも「それほど苦労したということはないよ」という言葉が返ってきます。
でも、決まって「みんな同じだったからね」という言葉も加わります。
もちろん、戦争で戦地に赴いた方や生活圏が戦地となった方は、こんな悠長な話では済まされないのですが、しかし、その時代を生きた人たちは、生き抜くことに必死ではあったけれど、必死であればあるほど、人と協力する大切さもよく分かっていたのではないかと思うのです。「自分だけが」という独りよがりの発想では、到底生き抜いてはこれなかったのでしょう。
それくらいに、助け合う、協力し合うということ、ひいては尊重し合うという精神性がとても大切なのではないかと思うのです。

翻って、物が豊かな平成の世において目を引く報道はと言えば、犯罪の大胆さや悪質なものばかりで、どれもこれもが自分のことしか考えていない身勝手な犯行ばかり。
熟慮せず、気ままな感覚で生きていると、そんな風になるのでしょうか。少なくとも、他人を尊重している気配は全く感じられないですし、自分はかわいそうなヤツ、くらいにしか思っていないかもしれない。

でも、それは個人個人に問題があるばかりではなくて、社会の急速な変貌にも起因していると考えられます。
私が現在と過去を比較しているのは、何も懐古主義に走っているのではなくて、社会における価値観の変化に、人間自身が対応できていないのではないか、と思うのです。
人間の多様性を発見できても、それをどのように活かし、有意義に発展できるのかというところまで、まだ社会は成熟していないように思います。
そういう対応について考え、行動していくことを、国や会社など組織や団体に求めるばかりではなくて、個人の単位においても、考えなければならないのではないでしょうか。
課題を他人任せにしないように、後の世を生きる人に先送りしないように、一歩でも半歩でも、前に進んでいきたいものです。

そして「自由」とは一体何であるのかを、考えながら行動していきたいですね。
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