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常識との暗闘☆

一度書いた記事が消えてしまいました…。
ごくたまにあるのですが、復元しようとする熱い意思がないと苦痛な作業ですね。

さて、ご存知のとおり私はお気楽な独り者です。
雲のようにふわふわしながら、楽しく生きています。
しかしそんな私も、社会では相応の人間性と経験を有した人間と見られる年齢となり、年月の経過の早さを感じずにはいられません。
気がつくと、人に結婚適齢期の限界と言われた年齢をあっさりと過ぎていたわけですが(笑)、しかし、アトリエの先生に言わせれば、これからが人間として円熟味が増して面白くなっていくのだと伺いましたので、人間なるようになるのかなと、やはり雲のようにふわふわとした気持ちでおります。
面白いと言えば、不思議な縁の連続で、ひょんなことから今年幼児教育を学ぶことになった私ですが、これからも人とのご縁が不思議な運命の糸を紡いでくのかな、とワクワクしています!
そういえば、先週の金曜日にこんなことがありました。

大学時代からの親友と、久しぶりに一杯やったのですが、彼と私はお互いに広い意味でサービス業に従事しており、正確には業種が違うものの、人との関わり方など価値観に共通点がいくつもありまして、話はいつも盛り上がるんです。
今回は、私達の身近なことでもある「発達障害」について話をしました。
発達障害とは、簡単に言うと同時に複数のことをするのが苦手というようなことで、これによって画一的な学習への取り組みが難しかったり、人との関わり方が難しかったりと、色々あるわけです。
そういうことを理解していくことの重要性や、それは何も子供達や親に限った話ではなくて、私達大人の社会にも必要であるということを、親友と熱く語り合いました。
それは、理解し難い犯罪が頻発する社会の現状を見るにつけ、成熟した法治国家の、強く広く行き渡った法の網だけで、対応が難しくなっているように感じられ、他方、経済面では多少の波はあれど、長く緩やかに低迷期が続き、政治ではこれに対する小手先の動きは見られるものの、即応の策としては不十分で、かつ国家長久の計というものがなく、東日本大震災の傷が未だ癒えぬ状況であるにも関わらず、悲しいかな、ニュースで主要政党はいつも権力闘争に明け暮れている。
一体どんな世の中になってしまったんだろう、と思うのは何も私だけではないでしょう。
しかし、これらを単に若い人のせいにしたり、今の政治を批判するだけでは、それもまた無意味です。
なぜなら、これらの事象が現れるずっと前に、氷山の一角は既に見えていたはずですからね。
子供達の世界にも何かが足りないですが、大人の世界にも何かが足りなかったのではないでしょうか。

私は社会や会社組織にも、障害に対する認識と理解を深め、そこから生じるであろう障害のあるなしという線引きを未然に防ぎ、それぞれの個性が生きる活力ある環境を整備することが必要ではないか、と話しました。
しかし、親友は逆に線引きは必要だという。
それは、組織の円滑な運営には健常者と障害者との線を見出だし、適切な対策を講じるということでありました。
しかし、発達障害は傾向の強弱がある他、特徴は多岐に渡っており、そこに明確な線を引くのは困難であるし、そもそも障害を人の個性と捉えれば、誰しも持ちえる特性と言えるものです。

ただ彼にしてみると、どこまでが障害で、どこからがわがままなのかという認識と対応が必要らしく、聞けば、ごく近しい方にアスペルガー症候群の方がいるとのこと。
彼も苦労しているのです。
まあこんなやりとりを、先日アトリエで買った発達障害の本を見てもらいながらしたのですが、帰り際に彼がその本をよく読みたいと言ったので、喜んでお貸ししました!
少しでも彼の役に立てば幸いですね!


私のような昼行灯が一人動いたところでその力は知れていますが、それでも優しい社会の実現を目指して頑張りますよ!
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コメント

  • 2012/11/14 (Wed) 00:26

    こんにちは~
    良い休日をお過ごしのようで良かったです。

    障害は身長の高い低いとかやせてる太っていると同じく個性なんだよとムスコに教えているので、タジさん派かな。
    ただ、やっぱり理想と現実があるのも十分に解ってるんですけどね。
    こういう事考え方も千差万別で良いと思うんです。
    画一的な方が危険だし、今の日本社会はどちらかというと画一的にに進もうとしているところが嫌いです。

    他人の気持ちが解る、優しい社会になって欲しいものですね

    コロリンパパ #- | URL | 編集
  • 2012/11/14 (Wed) 01:18
    相互理解はなくてはならないものですよね

    コロリンパパさん、こんばんは!

    まずはじめに、ステイ君残念でしたね(大汗)
    まさか骨折とは、何たる不運…心中お察しします。

    障害を理解しようとすると、世の人は必ず線引きしたくなるようですね。それは他人を認識・理解する時から、既にそういう発想が根っこにあるんでしょう。
    何度でも言いますし、極端な言い方ですが、障害は個性であるし、その個性を理解し、うまく能力を発揮できるよう、互いに支え合うという考えが大切なんですよね。
    そこに理解いただき、嬉しくも心強く感じます。

    お子さんにそれを伝えるのは非常に素晴らしいことだと思います。
    理想と現実で終わらせることのないよう、未来ある子供達のためにも、私達の世代でできることをやっていきましょう。
    優しい世界を願うし、せめてその土台くらいは作るお手伝いができればと思います。

    血液型で人間の種類を分けたがる人って多いですよね。
    血液型で人が分かるなら誰も苦労しないし、世の中に犯罪も戦争も起きないでしょうね(笑)
    ただ血液型の分け方ではなくても、旧来より行われてきた教育には多分にそういう多様性と柔軟性に欠けたものが多かったために、その教育制度の中での優秀さだけが持て囃され、そのような風潮が長らく続いているのだと思うのです。
    それにしか価値を求めていないから、普通の人間の自分と、何か変わっている他人、というような図式で物事を考えてしまい、障害というものを上から目線で見てしまう発想が生まれるのではないでしょうか。
    でも、そういう考えを強く持つ人もまた、ある意味で発達障害の何かの傾向が強いのかもしれませんけれど。
    だから、例え話でも何でもなく、現実的に何らかの傾向が強いか弱いかの話であって、誰にでもある特性だと思うのです。

    今の世の中には、無理解という最大の問題があると共に、それを改善しようという動きが鈍いのもまた、問題といえるでしょう。
    いっぺんには無理でしょうが、相互理解は世の中に必要なことだと思うので、地道に頑張っていきますよ!
    これからもよろしくお願いします。

    タジ #- | URL | 編集

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